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織田信長を語る 其の三 
信長の母は尾張の豪族土田氏の娘であったと伝えられている。

しかし彼女について詳細を今日にいたるまで判らない点が多い。織田家に関する文献,資料などでも露出が少なく,そもそも「どだ」なのか「つちだ」なのかも意見が分かれている。ただ信長が彼女の子であることは,一致した意見となっているのは間違いない。

さて信長は幼名を吉法師、また名を三郎(異母兄が二人いた為といわれている)と称していた。そして彼の傅役として、織田家宿老の林秀貞、平手政秀の両名がつけられた。

吉法師は二歳の時に父母と別れ那古野城に城主として入り,この地にて養育された。ちなみにこの時父の信秀は古渡城を本拠としていた。

吉法師は乳母の乳首を噛みきったというエピソードが語られるほど,やんちゃな赤子であったと伝えられている。気性が激しく入れ替わり乳母が入れ替わりだれにもなつくことがなかった様だ。そんな中で一人の女性にだけは心を許したと言われている。それが池田恒利の室であった養徳院夫人である。

彼女が乳母になった途端に、おとなしく乳を飲むようになったとか。ちなみにこの養徳院の息子が後年の池田恒興であり、信長とは乳兄弟ということになる。

そんな信長が元服したのは一三歳になった天文一五(1546)年の頃である。この時は普段の生活を営んでいる那古野城では無く、父である織田信秀や母の土田御前が居住していた古渡城にて元服の祝いが執り行われた。

この時に吉法師という名を「三郎信長」へと改めている。名前の「信」という文字には、天下を号令するのに相応しいということで、沢彦和尚が付けたと言われているが,おそらくは後世の作り話であろう。



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