ひろぞう戦国物語
戦国時代について,好き勝手に関連することを書かせて貰っているところ
ひろぞう戦国物語ホームページへジャンプ
カテゴリー
■ホームページ更新 (39)
■ひとこと  (70)
■歴史の本 (45)
■史跡・名城 (15)
■大河ドラマ 「天地人」 (24)
■大河ドラマ「風林火山」 (62)
■大河ドラマ「功名が辻」 (41)
■戦国時代ゲーム (21)
■織田信長 (8)
■戦国武将 (1)
■動画 (7)
■歴史ドラマ (3)
■おもちゃ (6)
最近の記事
■ 信長の野望 天道 (06/28)
■ 歴史小説 「覇者の決まる日」 (06/21)
■ 天地人 第一九回「本能寺の変」 (06/15)
■ 天地人 第一八回「義の戦士たち」 (06/14)
■ 天地人 第一七回「直江兼続誕生」 (06/13)
■ 天地人 第一六回「信玄の娘」 (06/13)
■ 突撃!合戦スタジアム (06/05)
■ 信長の野望 13(仮) 発売予定 (05/05)
プロフィール

ひろぞう

Author:ひろぞう
あまり更新もできないし,メールもみることができない。はぁ〜とため息ついてしまう今日この頃です。

入場者数
過去ログ
■ 2009年06月
■ 2009年05月
■ 2009年04月
■ 2009年03月
■ 2009年02月
■ 2009年01月
■ 2008年12月
■ 2008年11月
■ 2008年10月
■ 2008年09月
■ 2008年08月
■ 2008年07月
■ 2008年06月
■ 2008年05月
■ 2008年04月
■ 2008年03月
■ 2008年02月
■ 2008年01月
■ 2007年12月
■ 2007年11月
■ 2007年10月
■ 2007年09月
■ 2007年08月
■ 2007年07月
■ 2007年06月
■ 2007年05月
■ 2007年04月
■ 2007年03月
■ 2007年02月
■ 2007年01月
■ 2006年12月
■ 2006年11月
■ 2006年10月
■ 2006年09月
■ 2006年08月
■ 2006年07月
■ 2006年06月
■ 2006年05月
■ 2006年04月
■ 2006年03月
■ 2006年02月
■ 2006年01月
■ 2005年12月
最近のコメント
■ ひろぞう:歴史小説 「信長の傭兵」 (03/31)
■ Ayaeny mama:歴史小説 「信長の傭兵」 (03/30)
■ 三谷眞紀:「信長の野望DS」 (01/04)
■ 三谷眞紀:信長の野望・革新 パワーアップキット (01/04)
■ みんな の プロフィール:風林火山  第47回「決戦前夜」 (12/21)
■ ひろぞう:風林火山 第23回「河越夜戦 (06/21)
■ lovespoon:風林火山 第23回「河越夜戦 (06/15)
最近のトラックバック
■ 大河ドラマ 天地人:大河ドラマ 天地人直江兼続 兜 (04/02)
■ ニュース&youtube最新動画blog:上杉謙信 暗殺 (03/03)
■ 情報発信局:上杉景虎 妙高 (03/03)
■ 先取り!youtube動画最新ニュース:上杉景勝 上杉景虎 (03/02)
■ 大河ドラマ 天地人:大河ドラマ 天地人直江兼続 画像 (03/01)
FC2ニュース

FC2レンタルサーバー
RSSフィード
■最新記事のRSS
■最新コメントのRSS
■最新トラックバックのRSS
青空文庫ランキング
PoweredBy

Powered By FC2ブログ
ブログやるならFC2ブログ

リンク

にほんブログ村 歴史ブログへ

人気ブログランキング【ブログの殿堂】


おすすめ

天下人 甲冑コレクション TK202 Bセット 直江兼続
直江兼続

天下人 甲冑コレクション TK203 Cセット 真田幸村
真田幸村

天下人 甲冑コレクション TK201 Aセット 伊達政宗
伊達政宗









RSS // Admin
  
織田信長を語る 其の二 
織田信長が生まれたのは天文三年、これを馴染みのある西暦に置き換えると1534年になる。

今(2008年)から474年前というこだ。

その当時の日本はどの様な状態として,国が成り立っていたのだろうか。およそ500年前といと歴史の授業でも習った様に室町幕府の時代。将軍である足利氏が武家政権としてこの国の舵取りをしていた。

この当時,信長の生まれた尾張という国(今の愛知県)は、斯波氏が守護として統治していた。しかし斯波氏をはじめとした守護大名は多くの国を治めており,実際に統治していたのは守護代の面々である。

守護といっても名ばかりであり、応仁の大乱を境にしてからは全国的に名ばかりの守護などは,名声はもちろんその権威,果てはお家自体が没落していた。

尾張も例外では無く,守護代であった織田家が治めていた。その織田家も二家に分割されて、それぞれの家系で尾張一国を統治。

その二家というのは,岩倉城を本城として上四郡を支配していた織田信安と、清洲城を本城として下四郡を治めていた織田達勝である。

さて信長はどちらの系統だったのであろうか?そもそも信長の父である織田信秀は、下四郡を支配していた、織田達勝に仕える重臣の一人でしかなかった。

そんな状況下で信長の父である信秀は,他の同僚はもちろんであるが,主君であるはずの信達よりも実力がぬきんでていた。それの理由は経済力であるであり,信秀の治めていた領地に,地の利があったといえるだろう。

信秀は尾張の古渡城を本拠としていたが、このあたりは古来より交通の要所となっており、とくに伊勢方面との海運業でもって街の経済が潤っていた。

その経済力でもって信秀は強大な力を付けていき、やがて主筋であった織田達勝の力を圧倒するように成り、下四郡を統治する程の力を得ていったのである。

織田信長が信秀の子として誕生したのは、そんな時代であった。


にほんブログ村 歴史ブログ 戦国時代へ にほんブログ村 歴史ブログへ

ひろぞう戦国物語 │ 織田信長│CM0. TB0│ TOP▲

  
コメント
コメントする












 管理者にだけ表示を許可する?

トラックバック
トラックバックURL
→http://hirozoh.blog9.fc2.com/tb.php/306-33afc018
この記事にトラックバックする(FC2ブログユーザー)


     
≪ 史跡巡り 「郡上八幡城」 │ HOME │ 織田信長を語る ≫
photo by hemitonium.  // Template by ICENE
Powered by FC2ブログ FC2ブログ 専門学校