09年の大河ドラマも戦国モノと決まった。
主人公は上杉景勝の家臣である直江兼続,原作は火坂雅志氏の「天地人」。
兼続は越後上杉氏家臣の長尾政景の臣である樋口兼豊の子として育つ。政景の死後,上杉景勝の側近として春日山へ入城。天正六(1578)年上杉謙信死後に起きた景勝と景虎(北条家からの養子)との間で起きた跡目相続争い(御館の乱)では、景勝側にて父樋口兼豊と共に奮闘する。直江景綱の娘であるお船の婿となり,直江兼続と名を改め直江家を継いだ。
敵対関係にあった織田信長が本能寺にて横死すると、すかさず羽柴秀吉と和を結ぶ様にと主君である上杉景勝に進言する。その同盟相手であった秀吉が天下統一を果たすと、その政権下に組み込まれ上杉家は五大老に列し、越後九〇万石から会津一二〇万石へ加増される。さらには兼続個人に出羽米沢に三〇万石が与えられた。また秀吉より山城守が下賜される。
豊臣秀吉死後は徳川家康から促された上洛を拒否し、さらに徳川家康からの使者に対し、逆に挑戦状をたたきつける。その結果、徳川家康を中心とした大名等による会津征伐がはじまった。兼続は会津領内から山形方面にかけて転戦すえうが、関ヶ原にて徳川家康が勝利を得たという情報を受けると、全ての兵を会津へ退かせた。翌年に主君の上杉景勝と共に上洛を果たし、上杉家を会津一二〇万石から兼続の所領であった米沢三〇万石に減封さらた。
兼続自身も五万石の身代となる。慶長一九(1614)年には起きた大阪の陣に参戦。その後も徳川家の本多正信から養子を迎入れるなど徳川家との結び付きを強め、お家の安泰をはかった。

ちなみに08年は「篤姫」で宮崎あおい氏が主演である。
主人公は上杉景勝の家臣である直江兼続,原作は火坂雅志氏の「天地人」。
兼続は越後上杉氏家臣の長尾政景の臣である樋口兼豊の子として育つ。政景の死後,上杉景勝の側近として春日山へ入城。天正六(1578)年上杉謙信死後に起きた景勝と景虎(北条家からの養子)との間で起きた跡目相続争い(御館の乱)では、景勝側にて父樋口兼豊と共に奮闘する。直江景綱の娘であるお船の婿となり,直江兼続と名を改め直江家を継いだ。
敵対関係にあった織田信長が本能寺にて横死すると、すかさず羽柴秀吉と和を結ぶ様にと主君である上杉景勝に進言する。その同盟相手であった秀吉が天下統一を果たすと、その政権下に組み込まれ上杉家は五大老に列し、越後九〇万石から会津一二〇万石へ加増される。さらには兼続個人に出羽米沢に三〇万石が与えられた。また秀吉より山城守が下賜される。
豊臣秀吉死後は徳川家康から促された上洛を拒否し、さらに徳川家康からの使者に対し、逆に挑戦状をたたきつける。その結果、徳川家康を中心とした大名等による会津征伐がはじまった。兼続は会津領内から山形方面にかけて転戦すえうが、関ヶ原にて徳川家康が勝利を得たという情報を受けると、全ての兵を会津へ退かせた。翌年に主君の上杉景勝と共に上洛を果たし、上杉家を会津一二〇万石から兼続の所領であった米沢三〇万石に減封さらた。
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ちなみに08年は「篤姫」で宮崎あおい氏が主演である。







