ひろぞう戦国物語
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織田信長を語る 其の四 
信長は元服した翌年の天文一六(1547)年に、三河の吉良大浜攻めにおいて初陣を飾っている。初陣は武家の子息にとって、重要な儀式の一つであり、この戦でもって敗退することは許されない。大名の子息であればなおさらのことである。 よって当時の風潮として,勝てる合戦を選び行われる傾向がある様だ。

信長は初陣ではあるものの織田家の総指揮官として出陣。しかし初めて合戦に臨む者に軍の采配を任せるのは無理というもの。実際に戦の采配を行うのは,その後見人が振るうものである。

この吉良大浜攻めで信長の後見を務め,そして采配を振るったのは傅役の一人である平手政秀であった。

ちなみに信長は、紅筋の頭巾をかぶり、鎧を着せた馬に跨り、馬乗りの羽織を着用という出で立ちで出陣をしていたと伝えられている。

この吉良大浜城とは、尾張と三河両国の国境付近に位置しており、西に勢力を拡大しつづけている駿河の今川家にとっては前線となる拠点であった。

織田勢はおよそ八〇〇ほどの兵で攻めいり,迎え撃つ今川勢は二〇〇〇の兵であったと言われている。真正面からぶつかれば,数の原理において織田勢にとって劣勢は拭えない。

はじめは織田,今川両軍のの間で直接的な武力衝突は行われず、織田方が吉良大浜城下の家々へ放火してまわり、引き上げたといわれている。直接干戈を交えるこは無く,信長自身にしても命を奪われるというリスクはかなり低かったころだろう。


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歴史小説 「陣借り平助」 
宮本昌孝氏が戦国時代を舞台として一介の武将の活躍を描いた「陣借り平助」。

破天荒な主人公の摩羅賀平助と,その愛馬である丹楓とが巻き起こす痛快時代小説でもある。

一見すると「一夢庵風流記」の主人公,前田慶次郎にも通じる傾き者。

乱世である日本各地を巡り,様々な人々と出会い,そして合戦において弱者を勝者に導く活躍。

そして主人公である平助の素性が,徐々に明らかにされていくストーリーは読み手を飽きさせない。

一風変わった歴史小説を読みたい人にはもってこいの1冊であるだろう。






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篤姫から兼続へ 
2008年の大河ドラマ「篤姫」が最終回をむかえる。

思えばなんとなく見始め,気がつけば夏が過ぎ,そして寒い年末になっていた。

期待せずに視聴していたが,いつのまにか楽しみにしている自分がそこにいた。

ちょうど10年前の大河ドラマ「徳川慶喜」の時とは正反対の結果。

あの時は司馬遼太郎の原作ということもあり,期待が大きかったが,気がつけば見なくなっていた。

ちなみにその時の篤姫(天璋院)は深津絵里が演じていたそうだ。

そして2009年,また時代は戦国時代となり,上杉家の宰相を務めた直江兼続が主人公の「天地人」。

放送開始まで一ヶ月を切ったが,どういった内容になるのか,やや期待しながらその1月4日を待っている。








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天地人 ホームページ 
天地人のホームページがNHKで公開されている。

大河ドラマ 天地人

といってもまだ1月4日にスタートするという告知だけだが。

今回は「日本人が忘れかけている,義と愛」がテーマとなり,ドラマが描かれる模様だ。

出演者も続々と決定しており,最近は俄に戦国ブームということも耳にする。

この勢い持ち越して,2009年は「天地人」ブームとなるのか。

まずは第一回放送,「五歳の家臣」を楽しみにまつこととしよう。

ちなみに第一回目の放送は通常の45分から30分延長され75分の拡大版となる。

年末年始を利用して,小説「天地人」を読み知識を付けておくのも良いでしょう。








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織田信長を語る 其の三 
信長の母は尾張の豪族土田氏の娘であったと伝えられている。

しかし彼女について詳細を今日にいたるまで判らない点が多い。織田家に関する文献,資料などでも露出が少なく,そもそも「どだ」なのか「つちだ」なのかも意見が分かれている。ただ信長が彼女の子であることは,一致した意見となっているのは間違いない。

さて信長は幼名を吉法師、また名を三郎(異母兄が二人いた為といわれている)と称していた。そして彼の傅役として、織田家宿老の林秀貞、平手政秀の両名がつけられた。

吉法師は二歳の時に父母と別れ那古野城に城主として入り,この地にて養育された。ちなみにこの時父の信秀は古渡城を本拠としていた。

吉法師は乳母の乳首を噛みきったというエピソードが語られるほど,やんちゃな赤子であったと伝えられている。気性が激しく入れ替わり乳母が入れ替わりだれにもなつくことがなかった様だ。そんな中で一人の女性にだけは心を許したと言われている。それが池田恒利の室であった養徳院夫人である。

彼女が乳母になった途端に、おとなしく乳を飲むようになったとか。ちなみにこの養徳院の息子が後年の池田恒興であり、信長とは乳兄弟ということになる。

そんな信長が元服したのは一三歳になった天文一五(1546)年の頃である。この時は普段の生活を営んでいる那古野城では無く、父である織田信秀や母の土田御前が居住していた古渡城にて元服の祝いが執り行われた。

この時に吉法師という名を「三郎信長」へと改めている。名前の「信」という文字には、天下を号令するのに相応しいということで、沢彦和尚が付けたと言われているが,おそらくは後世の作り話であろう。



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