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天地人 第一九回「本能寺の変」 
魚津城救援に向かったと思われた上杉景勝率いる上杉軍。しかしこの行動は偽装であって、越後へ侵攻してくる織田の軍勢を深くおびき寄せ叩くというもの。

上野からは滝川一益が、信濃からは森長可がそれぞれ越後目指して、軍勢を動かしたという報せを受けた景勝は、兼続からの助言を得て北陸道を、春日山へとむけて退却を始めた。

そしてそのまま二本木に陣を敷いている森勢に討ってかかった。しかし森長可はすでに陣を引き払っており、信濃へ退却していた。上杉勢は追い打ちをかけるが、森の軍勢が一歩先に退いてしまったのだ。痛烈な打撃を与えることなく、春日山へ無念の帰還を果たす上杉軍。

兼続は魚津城を見殺しにしてまで立てた策が、こうまで外れてしまい自責の念に駆られる。兼続も直江屋敷に帰るといつもと違った雰囲気が。

そこにはお船が与板より、春日山へ来ていたのだ。しかしいつもの笑顔ではなく、淡々と食事を勧める態度。

いつしか寝入ってしまった兼続。そのそばでじっと主人が起きるのを待っていた妻のお船。兼続はここで勝手に直江家の婿と決めてしまったことを、お船に詫びるのであるが、予想だにしなかった展開に。

兼続とお船、いままでお互いに前からこれを望んで居たことを、両者共に告白したのであった。

そして魚津城宛にと届いた不可解な一通の書状がある。差出人は織田家の武将である明智光秀。記載してある文中に「無二の馳走をせよ」とある。これは何を意味するのか。兼続は光秀が謀反を企んでいるのはと疑う。

さて天正一〇年といえば、歴史的にも大きな事件が勃発している。「本能寺の変」である。京の都では明智光秀が、本能寺に宿泊中の主君である織田信長に対して軍勢を差し向け、寺を包囲して攻めた。

信長は初音から脱出の誘いを断り、ここで果てることを決意。そして信長の夢、お前が見届けよ、と初音に最期の言葉を残して、明智勢に弓をもって応戦した。しかし多勢に無勢であり、信長は本能寺の炎と共に天へ召されていった。

そして越中魚津城も最期の時を迎えていた。柴田勝家は主君信長が非業の死を遂げたなどは知らず、総攻撃を仕掛けていた。魚津城に籠もる守将も力戦むなしく、本丸にある一室に籠もり、吉江宗信、安部政吉らは自刃して命を絶った。

魚津城落城の報せが春日山に届いた。織田軍は雪崩をうって越後へ攻め入ってくるは必定。こうなれば皆して救援に向かった時に戦って、一緒に死ぬべきであったと後悔する。しかしここで奇妙な報告が入る。上野の滝川一益、信濃の森長可、そして越中の柴田勝家が軍勢を率いて本拠へ退却しているという。

ほどなくして越後にも本能寺の変の急報が届けられた。さらに明智光秀は既にこの世には無く、すでに羽柴秀吉によって敗退した旨を兼続等は知ることになる。

越後には一時であはあるが平和が訪れた。直江家も例外ではない。兼続とお船はますます夫婦らしくなっていったのでありました。



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天地人 第一八回「義の戦士たち」 

柴田勝家が率いる織田の軍勢によって包囲された魚津城。せめては一万五〇〇〇だが、守る兵は三〇〇〇ほどである。この劣勢の中、奮戦しているのが吉江宗信や、安部政吉といった武将であった。

援軍を求める魚津からの使者がくるが、越後は今、窮地に立たされていた。下越地方は織田と結んだ新発田茂家が虎視眈々と南下をもくろんでいる。また上野には滝川一益が機会を伺っており、さらに信濃には森長可がいつでも攻め入る体制が整えられていた。

上杉景勝は魚津城への救援へ向かいたいが、もし春日山を発ったらなら上野さらには、信濃から織田の軍勢が越後へ雪崩を打って攻め入ってくるのは間違いない。そうした思いがあり家老となった兼続には、救援のための出陣ができずに思い悩んでいた。

兼続は悩んだ。一人碁を打ちながら悩んでいた。一目取れば一目取られる。碁でいうコウといことだ。泉沢久秀はこの状況を抜けるには、一手間おいて石を取り返すことであると言い放つ。兼続はこの久秀の一言で、光明が見えてきた。だれもが魚津城に目をとられすぎている。一手間動かせば、いままで見えなかったものが見えてくるはずだと。

危険な兼続により賭が始まろうとしていた。

景勝にその賭を相談した兼続。景勝は「危うい賭じゃ」と恐れながらも了承し、それを実行することにした。

そして魚津城へ救援の兵を、景勝自らが率いて出立することになったのである。

出陣の準備をしている際に、兼続の元にもたらされたのが与板城で留守を預かるお船からの使者であった。志駄義秀をはじめとした援兵と、直江家当主の証となる脇差がもたらされた。さらにお船自身の髪が、手紙の代わりに兼続の手元に渡された。

景勝出陣にあたり菊姫は、仇討ち・・・をと武田を滅ぼした織田征伐を願っていた。

魚津城は二の丸まで織田の軍勢に攻め入られるほど、窮地に立たされていた。厳しい戦いを強いられている上杉軍。安部政吉は弟に後を任せて死ぬことができると、死をも覚悟していた。

この時、織田家の戦いは対上杉家だけでは無い。中国地方の備中では、羽柴秀吉が毛利方についている清水宗治が籠もる高松城を、水攻めという奇抜な発想で包囲していた。その秀吉は毛利の大軍との決戦を前にして、織田信長に対して援軍の依頼を出す。

これは秀吉のしたたかな策であり、最後の仕上げは上様自身でやってのけてくださいという、おべんちゃらであった。

秀吉からの援軍の依頼を受けた信長は、その先手として明智光秀を指名。光秀にとっては身分が低い、成り上がりであり者の助けにいくことは屈辱であった。

さて春日山を発った上杉景勝率いる五〇〇〇の軍勢は、魚津城を見下ろす天神山へ陣取った。すでに本丸のみの姿となった魚津城をみて唖然とする家臣たち。さらにその包囲している柴田勢の数に息をのんだ。

そんな折りに春日山からの報せが届いた。上野の滝川一益が、そして信濃の森長可がそれぞれ越後へ進軍をはじめたというのだ。この動きに対してうろたえる面々をよそに、兼続は即刻春日山へ引き戻すべきであると皆に言い放つ。

今回の出陣はこれを行うための策略であり、それを知るものは兼続に景勝のみであった。
しかし魚津城を守る兵たちを見殺しにすることはできないと、降伏して生きながらえる様に説得へ向かう兼続。

何とか城へたどり着いたものの、援軍到着に活気づく魚津の諸将は青天の霹靂であった。
兼続は上意である旨を伝えるが、吉江宗信や安部政好らは死を持って侍の道を貫き通すと言い、身勝手の許しを請う。兼続からその報せを受けた景勝は、軍勢を天神山より春日山へ向けて移動を開始した。


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天地人 第一七回「直江兼続誕生」 

上杉家の家老となった樋口兼続。皆から祝福される一方で、それを快くないと嫉む者も家中にはいた。そして事件は起きた。

毛利秀広は兼続の家老昇進に不服であり、それを認めている直江信綱、そして山崎専柳斎と口論となった。そして逆上した秀広はついに腰のものを抜き、専柳斎つづいてとめにはいった信綱を斬ってしまう。

信綱は直江の館へ運び込まれるが、「婿としての務めを果たせず、すまん」と言い残し、お船の手を握り息を引き取った。

兼続は自分のことで口論となり、刃傷沙汰にまで発展してしまったことを心苦しく思い、景勝へ家老の辞退を申し出るのだが、受け入れられなかった。

逆に景勝は直江家は上杉家筆頭の家柄。信綱が亡くなってしまった今、婿養子として兼続に直江家を継ぐように命じる。兼続が直江家をつげば、不満を持っている者も頭をさげ、家中も治まるという魂胆だ。

一方のお船は直江家の主城である与板で、喪に服していた。妙椿尼は仙桃院からの文をお船に手渡した。そして兼続を婿に迎えてはどうかと声をかける。仙桃院からの書状にもその旨が記してあった。信綱の最後の言葉、「あとを頼む」が頭をよぎり、上杉家のためならばと兼続との婚儀を決意した。

お船が承知したという報せは春日山の景勝の元にも届き、再び兼続に対し直江家を継ぐように命じた。主命ということで兼続は素直に応じた。

戦評定。織田信長の勢力が北陸一帯に広がりつつあり、どう防ぐかを論じていた。越後の西隣は越中。この越中の備えとして要となる魚津城。この地へ老臣である吉江宗信が自分から城へ入る旨を発言し、景勝も了承した。

妙高山、八海山の山伏が鍛錬している様子を眺める兼続。そこへ現れたのが阿部政吉。阿部は兼続に「わしを魚津にやれ」そして「おぬしの腹の中は見えている」と言い放った。さらに阿部は一番の激戦地に上田衆がいくべきだとも主張。最後は兼続も阿部に頭をさげ、魚津へ向かう様にお願いした。

安土城では織田信長に謁見している若武者がいた。羽柴秀吉につれられた若者、名を石田佐吉という。のちの石田三成だ。信長から直接、我に仕えぬかと誘われるがきっぱりと断った。主人は秀吉一人だけだという。

会見の後、初音と佐吉。二人で越後の兼続を噂しあい、初音は兼続が二人の前に現れることを予言する。

織田が甲斐へと向けて軍勢を動かしたという報せが届いた越後春日山城。菊姫は嘆いていた。故郷である甲斐が、織田の軍勢によって蹂躙される寸前であるのだが、景勝にしてみれば雪が積もっている間に出陣することは不可能であった。

一方、直江家の婿養子となった兼続。夫婦としてまだ会わぬお船に文でもと思っていたが、なかなか書けずに雪降る夜空を眺めていた。そしてお船も同じ様に遠く離れた与板において、兼続が眺める空をみていたのであった。

天正一〇年二月。織田の軍勢はついに武田領内に攻め込んだ。それを迎え撃つ武田であったが、相次ぐ身内からの裏切りにより本国の甲斐まで危うくなりつつある。そして盟友である越後へ援軍の依頼があった。多くの上杉家臣が反対する中、兼続は二五〇〇を割いて武田への加勢へ向かわせることを決意。

しかし武田勝頼は持ちこたえることができずに、天目山にて自害。武田家は滅亡した。これで織田による上杉包囲網が大方、完成したことになる。

菊姫は伏せっていた。彼女は実家の武田が滅びたことで、自身の値打ちが無くなり、城を放り出される覚悟を述べた。そんな彼女に景勝は、「夫としてこれからも、姫をまもる」と照れながらも力強く声をかけた。

そして越後の西である越中。ここの要所ともいえる魚津城が、織田勢に取り囲まれたという報せが春日山へ舞い込んできた。

すぐにでも出陣をしようとする景勝。それを阻止する兼続。さて続きは。

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天地人 第一六回「信玄の娘」 
上杉景虎と上杉景勝との間で勃発していた、亡き上杉謙信の跡目争いである「御館の乱」。景勝の勝利で幕を閉じた。しかし越後国内での乱れは治まっておらず、すべてを平らげるまでにはあと少しの猶予が必要であった。

景勝は樋口兼続を春日山の毘沙門堂へ招き、上杉家の家老となる様に持ちかける。しかし兼続は「滅相もない」と言い返して、この申し出を拒否。兼続にしてみれば「御館の乱」を起こしたという責任を感じ、進退を考慮しているところであった。

そんな兼続をみて景勝は、そもそも謙信の跡目として物足りなさがあった自分こそが責任をとるべきであったと口にして、さらにこれからは越後を守る必要があると諭した。

そして武田との同盟の証として、菊姫が甲斐より越後春日山の景勝の元へ嫁いで来た。

さっそく婚儀の宴。そもそも上杉家の重鎮である吉江宗信にとっては面白くない。不平を言いながら、めでたい席を中座してしまった。

その夜、景勝の寝所でのこと。菊姫を気遣いながら、照れながらも彼女を抱こうとする景勝。菊姫は布団の下に隠していた短刀を取り出し、景勝の背にその刃を当てた。

「なんじゃ」と菊姫を見つめる景勝。菊姫は「この程度でおびえるうつけであれば、差し違えるつもりであった」と強気な発言。そして畏まって言上した。「何があっても武田を助けると約束してください」しかし景勝は正直に「約束はできぬ」と頭を下げた。

この上杉と武田の同盟は、近江安土城にいる織田信長や、遠江浜松城の徳川家康を驚愕させた。家康にいたっては、服部半蔵にだれの知恵であったのかを探らせる動きを見せる。
兼続は主人景勝と菊姫の間が芳しくないということで、間を取り持とうと御台所を訪れるが追い返されてしまう。

冬の越後は雪に埋もれてしまう。春日山も例外なく雪が降り積もっていた。雪に埋もれた春日山城の庭を、兼続はお船と共に眺めていた。二人の会話はいつしか景勝と菊姫の話題に。なんとかして菊姫の心を開かせたいと考えていた時、陽の光が庭に差し込んできた。そして兼続はひらめいた。

琴の音色に惹かれて仙桃院は菊姫の部屋を訪れていた。女の幸せについての話となり、かつては夫長尾政景を、そして先の御館の乱において娘の華を亡くした仙桃院にとってはつらい話題だ。そんな気まずい雰囲気を断ち切る様に現れたのが兼続。

兼続は雪割草という春を告げる花を、菊姫に見せるためにやってきたのだ。溶けた雪の合間に咲く雪割草。この雪割草を例えに景勝という武将は信じるに足る者であることを、菊姫に伝えたかっただ。また仙桃院にとってこの地は娘の華がよく遊んだ地。

涙ぐむ仙桃院にそっと手をそえる菊姫。

越後国内の乱は未だに治まっていなかった。そして景勝自身も出陣を余儀なくされている。そんな景勝が出陣をするある日、菊姫が現れ「ご武運を祈ります、留守はおませください」と言い、主人を見送ったである。

こうして景勝と菊姫の間にあったわだかまりも去り、越後の乱もそれから半年後には鎮圧することができた。

そんなある夜のこと、兼続は直江信綱に呼ばれた。その席には信綱のほかに吉江宗信が居た。信綱は杯を兼続にあげておきながら、「わしはお主が気に入らん」と口を開いた。さらに宗信も続いて「わしも気にいらん」と口にする。だが二人が単に兼続を嫌っている訳ではなかった。

吉江宗信は上杉の舵取りを信綱と兼続にまかせる、と言うのだ。兼続が行った策を嫌っていた宗信。特に武田との和睦はこのもっともな例だ。しかし今にいたって考えれば、対織田家への戦略としてはそれが最良の策。

そして一人酒を飲んでいる景勝に呼ばれた兼続。ここで景勝は再び、兼続を家老に格上げすることを伝える。兼続も今度は固辞することなく快諾した。

軍議の席上で、上杉家の皆々の前でもって、兼続の家老が正式に発表された。わずか22歳の若さである。

しかしこれに嫉妬する者もいる。そんな兼続を気にかけ信綱はいつでも力になると言ってくれているが、中には明らかに兼続を毛嫌いする動きも。

そして事件は起きた。信綱が何者かによって斬られた。駆けつけた兼続に信綱は遺言の様にして「上杉を、上杉を・・・」と後事を託したのであった。



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天地人 第一五回「御館落城」 
天正七年,越後を二分していた争いも終局を迎えていた。春日山の上杉景勝方が甲斐の武田勝頼と手を結び,そして上杉景虎方が目論んでいた相模北条からの援軍が雪の為に進軍が鈍化した為である。事実,景虎方では陣を脱する雑兵が日に日に増えていた。

春日山城本丸では御館総攻めの可否につき,軍議が催されていた。しかし大将である景勝は決断を渋っていた。実母の仙桃院に実妹である華姫が居るからであるためか。痺れをきらした吉江宗信は,武田に頭を下げた今,また景虎に和睦を持ちかけるのかと。

御館には仙桃院と華姫を春日山方へ引き渡す様にとの書状が届けられていた。しかし北条高広は徹底抗戦を唱えるが,遠山康光にいたっては消極的である。

決戦か,それとも和睦か。両者につく諸将の心中は揺れ動いていた。それでも景勝方からの引き渡し要求について,景虎方はそれを拒否した。

兼続は仙桃院に華姫の安否を気にしていた。そんなおりにお船が御館へ向かった。仙桃院と華姫に対して春日山へ戻る様にとの説得である。しかしそれに応じる仙桃院では無かった。偽りの遺言の責任をとる必要があるという。

そんなおりに戦勝祈願に訪れた北条が,何者かの襲撃にあい落命。

北条暗殺の報を受けた景虎は,敗北を悟り意気消沈してしまった。景虎の思いは降伏へと動き始めた。そんな景虎の心を見定めたかのように,仙桃院が面会に現れた。仙桃院は戦を終わらせる様にと懇願した。そして景虎の心も揺れ動き,和睦への道を探し始めた。

天正七年三月,景虎は嫡男である道満丸を景勝との和睦の証として送ることを決断。華姫はそんな我が子を心配し,お守りを手渡し送り出した。

道満丸は輿に揺られ春日山を目指していた。その手には華姫より授かったお守り。その中には母である華姫の髪が。しかし辿り着く前に,何者かの襲撃に遭遇してしまい,幼い命を散らせてしまう。

遠山はそれを景虎に伝えた。襲撃者を景勝の息が掛かるモノであると思い,さらに遠山の催促も背中を押したのか,春日山への攻撃する決断を渋々だした。

攻められては,総攻撃を掛けずにはいかなくなった景勝。配下一同に対して御館への攻撃命令をくだした。兼続は仙桃院,それから華姫を救出すべく御館へと足を踏み入れる。仙桃院を見つけ出すことができたが,すでに,景虎,そして華姫が僅かな供とともに,御館を抜け出したことを知る。

景虎は遠山等,僅かな供回りの者と,華姫を従えて鮫ヶ尾城へ落ちのびていた。しかし再起を図れるほど猶予は無く,鮫ヶ尾城主もまた景虎を裏切ったのであった。

景虎は死を覚悟した。そんな主君を見て遠山は,「北条へかえる」とし不敵な笑みを残して,景虎の元を去っていった。

そんな景虎に従う者は華姫ただ一人。華姫は「あの世までお伴する」と死ぬ覚悟を告げ,「幸せであった」と景虎に御礼する。景虎がその場を離れると,華姫は自らの短刀を手に取り,道満丸の待つ世へと旅だった。

兼続以下,景勝小姓衆は景虎の元に現れる。そして道満丸の一件は,景勝方の仕業では無いと告げる。しかし景虎にしてみれば,「もはや人を信じ抜く力を持たぬ」と誰もかも信じられない疑心暗鬼に陥っている。景虎は骸と化した華姫を抱きかかえ,自らの命を絶つ場へと去っていった。

景虎の最期を景勝へ報告する兼続。そして仙桃院から「生きすぎた」という言づても伝えた。涙をこらえる景勝。これで内乱に一区切り付けることだできたのであった。


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天地人 第一四回「黄金の盟約」 
樋口兼続は武田方の高坂弾正と,盟約を結んだはずであった。しかしそれが無かった事の様に,一月後には武田の軍勢が越後春日山へ向歩みはじめた。

兼続は狼狽していた。もう一度,武田の陣中に向い,直談判に向かうと必死になるが,小姓仲間に止めら,牢に入れられ身動きが取れなくなった。

それを耳にした春日山勢。景勝とそれに従う者達に動揺が走った。軍議の席では吉江宗信や直江信綱等が,不満を募らせて兼続を批判。

実は高坂弾正は,陣中で病のために亡くなっていたのであった。

兼続は何か他に,この状況を打開するは無いのか,牢でもって一人必死に考えた。そして答えを見つけ出すのである。

一方,御館では景虎が,北条と武田の動きを聞き,満更でもない笑顔。それを見た華は,景虎の昔の姿を懐かしむ。

牢に訪れた惣右衛門。兼続は父に向かい,牢から出してくれる様に懇願する。それは上杉景勝が生き残る術を考えつき,それを直訴するためであった。

惣右衛門に牢から解放してもらった兼続は,そのまま景勝の元へと向かった。そして景勝に告げた。黄金を武田にわたし,それで和議をはかるというものである。相手の欲を利用して,味方になってもらうということだ。

景勝は断固拒否。

さらに小姓仲間にも愛想を尽かされてしまう。

そんな状況を耳にしたお船。彼女はまたまた密会で兼続を励ます。景勝を説得できるのは兼続だけだ・・・と。
それで元気を取り戻した兼続は,毘沙門洞に籠もる景勝を見守る様に,渡り廊下で正座してその時をまっていた。それを見守るのは上田庄からの小姓仲間。

そこへ現れたのは兼続の父,惣右衛門。惣右衛門は息子のことでと頭を下げた。惣右衛門が言うには兼続は,自分はこの上杉家の内紛を引き起こしてしまったことに罪を感じている。殿(景勝)を当主に据えるためにはなりふり構わず,恥をかくことも,命を投げ出すことも辞さない覚悟であることを語った。

毘沙門洞で上杉謙信の亡骸が収められた樽を前にして,景勝は生き抜いて越後を守ることを決断。

兼続と泉沢久秀等は,百姓の姿でもって武田陣中へ黄金を運んでいった。

武田勝頼との直に交渉を行った兼続。黄金というアイテムを用いて,勝頼の気持ちを掴むことに成功。武田は軍を甲斐へと引き上げていった。

さらに武田と上杉の同盟を強固なものにするため,武田勝頼の妹である菊姫が景勝の嫁として越後へ迎え入れることも決まっていた。

景勝がしみじみと,武田の姫を迎えることになるとは・・・。十年前からすれば考えられない状勢の変化である。


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天地人 第一三回「潜入!武田の陣」 
なんとか兵糧を確保できた春日山城に籠もる上杉景勝軍。しかし未だに上杉景虎方の方が形勢が有利であった。
甲斐の武田勝頼率いる三万もの軍勢が,信越国境付近に陣取り,また相模北条氏政の軍勢も,上越国境に向かう不安も拭いきれない景勝軍。

軍議では直江信綱らが,武田軍が攻めてきたとしても,戦いあるのみと強行な意見が態勢を占めていた。もしも武田と北条が連携して越後へ攻め掛かってくれば,景勝方に勝ち目は無い。

上田庄の坂戸城で北条軍の越後への侵攻を阻止する決意をしたのが,城代家老であった栗林政頼に深沢利重の両名。栗林等の意見に同調し,一緒に行動をしようとする上田庄出身の若者もいたが,春日山が手薄になると兼続がそれを止めた。

景勝は二人の決死の覚悟に,別れの杯を交わし,明朝,春日山城から坂戸城へと向かった。

御館では景虎が仙桃院に詰め寄られていた。武田と北条の軍勢を越後へ入れたらどの様になるのか。まして北条氏政には何度,裏切られてものかと。しかし景虎は実兄でもある氏政を利用するだけという。

兼続にはこの困難を打開する良策が見あたらない。同志らは勝てる見込みが薄いことを案じていることを兼続は知る。そんなおりに父惣右衛門より,「己の力の限りをつくせ,母の言った紅葉の教えを忘れるな」と叱咤激励された兼続であった。

遠く近江の安土城では織田信長が,越後の状況を初音に語っている。上杉謙信には加賀手取川で敗退したが,その謙信はいない。さらに内乱がおき天下無双といわれた上杉と武田両家が小競り合い。信長は自らの勝ちを確信した。

初音はそんな信長に「勝って閉ざされる道もあれば,負けて開ける道もある」と説く。「真田の教えか」と信長。真田が小さい領地ながらも,生き抜いてきた処世術ともいうべきものをかたる初音。信長はそんな初音を「面白いおなごだ」と不気味に笑う。

兼続は夜もなんとか,この難局を乗り切る良い手立てが無いものかと頭を悩ましていた。そんな時に弟の与七が放った一言で執るべき方針が閃いた。それは武田と手を結ぶということである。

そして軍議の席上で兼続は景勝へ進言する。「信濃と上野の上杉領を武田家に譲り,武田家と和睦をする」というのである。しかし重臣等は猛反発する。かつて武田家とは信濃はもちろん,関東でも刃を交えた宿敵。戦わずに膝を屈するとは屈辱であるというのが意見である。さすがに景勝も拒否して,軍議の席を立ってしまった。

景勝の後を追う兼続。そこで兼続は景勝の説得をはかる。今の現状,つまり戦っている相手は上杉景虎であって武田ではない。越後の土地を守るためには武田を味方にするしか方法は無いと。

景勝は「お館様(上杉謙信)が許されると思うのか!」と一喝。しかし兼続もひるまない。「殿は殿,お館様はお館様ではございませぬか」」と。越後のためにつまらない誇りは捨てるべきだと言い放ち,景勝の説得に成功した。

武田の陣へ向かう不安,失敗したときの越後は・・・兼続の心配事はつきない。そんな夜明けの春日山でお船と顔を合わした。お船は兼続を勇気づけ,自らの髪を結っていた紐を兼続に投げ渡した。

兼続は泉沢久秀と与七を引き連れ,武田の陣へと向かう。陣へと近づくと武田の兵に囲まれ,そのまま高坂弾正の元へと引き連れられた。

高坂弾正の前で兼続は使者としての用件,武田との和睦を条件とともに要求。高坂は北条と武田の結びつきの深さを語るが,兼続は武田が恐れているのは織田信長。その信長を破ったのは上杉であると誇示する。高坂は兼続の器量をかい,また上杉謙信は信玄公が唯一認めた武将であることを語り,最後の奉公のつもりで勝頼を説得すると和睦を了解してくれた。

和睦は成功しそうな雰囲気。しかし春日山城では武田との和睦を了承した景勝へ,吉江宗信が不服を訴えていた。過去の歴史から武田家と和睦は,上杉の侍としての屈辱であることを物語っているのであろう。


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天地人 第一二回 「命がけの使者」 
春日山城に籠城している上杉景勝と,それに従う者たちが新たな敵を向かえていた。それは飢え。兵糧が残り少なくなっているとのこだ。

御館に引き下がった上杉景虎方は,直江津や郷津,さらに主要な街道も含めて抑えていた。景虎方が仕掛けた兵糧攻めである。

春日山では景勝を囲み,この境地を打開するための軍議が催されていた。さらに景虎は実家でもある相模小田原と,密書のやりとりを行っているという情報に,さらに落胆する家臣一同。

御館では北条氏政から,上杉景虎宛の密書が届けられた。内容は越後へ援兵を送るとのことだ。兄弟の絆の強さに関心する遠山であったが,実兄からの報せに景虎は否定した。援軍の申し出は受けるが,八年前に和睦の証として質に入れられた三郎(景虎)。それを平気で裏切ったのが氏政だったからだ。

甲斐でも越後での内乱に関わる密書が,相模小田原から届けられていた。越後を責めてはいかがかという内容だ。それに対して武田勝頼に反論するのが,老臣である香坂弾正。香坂の考えは越後上杉と手を結び,強大となった織田信長に当たるということ。また信玄の遺言にもあった様に上杉を頼っていれば,長篠の大敗は無かったはずと力説するが,到底受け入れてもらえない意見である。

その武田の軍勢が信濃海津城に,続々と集結しているとの情報を掴んだ春日山。敵は御館の景虎だけでは無く,飢えと北条,そして武田までもが加わったことになった。

景勝は今ある手立てとして,二つの意見を挙げた。一つは潔く御館に膝を屈して降伏すること。そしてもう一つは玉砕覚悟で打って出て,潔く討死すること。しかし兼続は反対した。ことを急いてはならないと。

一方,直江家では信綱とお船の間が歪んできてしまった。お船が兼続を褒めちぎるからか,信綱が嫉妬したのである。

兼続は景勝と二人,なんとか生き残る術は無いものかと模索していた。そしてある一つの方策に気がついたのが兼続。それは春日山城の裏手にある,桑取という集落を見方につけ,そこから兵糧を持ち込むという考えだ。他に妙案が無いので,景勝は兼続にその使者として任に当たらせた。

桑取はまだ旗色を露わにはしていなかった。景勝にもそして景虎のどちらにも,まだ肩入れしていなかったのだ。成功するか否かは判らない。その猶予を三日と定めた景勝。

桑取へ向かった兼続。その途中で老婆が足をくじいたらしく,兼続は急ぎの足をとめて介抱する。冷たい川の水で冷やした手ぬぐいを患部にあてがう兼続。そこで自分の身分を話し,景勝の自慢話をはじめた。そして行き先を桑取であることを老婆に話すと,引き留められる。兼続はそれでも行かなけばならないが,「話あいに行くのに不要である」と言って腰の大小を老婆に預けて先を急いだ。丸腰である。

兼続は桑取に辿り着いた。しかし兼続は何者かに不意討ちをくらい意識を無くす。

その夜,春日山城は景虎方である北条勢に夜襲を受けていた。必死に防戦する景勝方。

やっと目を覚ました兼続。そこは牢の中。周りは屈強の男たち。そして連れて行かれたところで,相対したのは斎京三郎右衛門という桑取の長である。兼続は景勝への合力を願い話合にきたのだが,すでに景虎方から金子が届けられており,あとは返事をするだけであることを聞かされる。

しかし兼続は何も持参してきていない。それを知った桑取の衆等は兼続に対し憤る。しかし使者として口をひらいた兼続。
「おまえたち!それでも上杉のサムライか!腰につけている刀は単なる飾りではあるまい」
周りの衆は腰の物に手をかけ殺気立つが,三郎右衛門は冷静であった。「自分たちの身は自分で守る。だから強い方へつき,金をくれる方につく」と主張。

兼続は反論。「上杉の誇りは金でははかれまい。なんのために命を賭けるかではないか」この言葉は三郎右衛門の心に響いたのかどうか。結局は命は取られないまでも,館から追い出されてしまった兼続。

その目の前に現れたのは,途中の道すがら出くわした老婆。実はこの老婆は桑取の長である斎京三郎右衛門の母(トメ)と告白。どうしても桑取の力が必要であることをトメに力説し,殿のためなら命などいらんと言いながら,気を失ってしまった。

そこに現れた三郎右衛門。トメから兼続が途中,刀を預けてまでやってきた兼続について話た。そして「景虎様は金のみをよこされた,しかし景勝様は越後のために命をかける,かような方を遣わされた」と語った。かつて謙信も刀を持たずに,桑取までやってきたとか。

約束の日の払暁,春日山本丸では皆々が決死の形相で居並んでいた。景勝が最後の決断を下すのを待っているのだ。惣右衛門は息子の不手際を詫びていた。直江信綱は景勝を促していた。そんな時,兼続帰館の旨が知らせられた。

兼続は無事に景勝の元に戻ってきた。それも桑取衆を連れて。三郎右衛門は景勝の前で遅参を詫び,合力する旨を告げた。そして配下に兵糧を運ばせ,これで春日山の飢えも凌がれることになったのだ。

しかし本当の試練はこれからだった。春日山の兵糧攻めに失敗した景虎方であったが,北条氏の軍勢が上越国境を越える時,その矛先がまず向かうのが,兼続や景勝の故郷である上田庄であるからだ。

それを知らずに白い握り飯をほおばる上田衆。


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