魚津城救援に向かったと思われた上杉景勝率いる上杉軍。しかしこの行動は偽装であって、越後へ侵攻してくる織田の軍勢を深くおびき寄せ叩くというもの。
上野からは滝川一益が、信濃からは森長可がそれぞれ越後目指して、軍勢を動かしたという報せを受けた景勝は、兼続からの助言を得て北陸道を、春日山へとむけて退却を始めた。
そしてそのまま二本木に陣を敷いている森勢に討ってかかった。しかし森長可はすでに陣を引き払っており、信濃へ退却していた。上杉勢は追い打ちをかけるが、森の軍勢が一歩先に退いてしまったのだ。痛烈な打撃を与えることなく、春日山へ無念の帰還を果たす上杉軍。
兼続は魚津城を見殺しにしてまで立てた策が、こうまで外れてしまい自責の念に駆られる。兼続も直江屋敷に帰るといつもと違った雰囲気が。
そこにはお船が与板より、春日山へ来ていたのだ。しかしいつもの笑顔ではなく、淡々と食事を勧める態度。
いつしか寝入ってしまった兼続。そのそばでじっと主人が起きるのを待っていた妻のお船。兼続はここで勝手に直江家の婿と決めてしまったことを、お船に詫びるのであるが、予想だにしなかった展開に。
兼続とお船、いままでお互いに前からこれを望んで居たことを、両者共に告白したのであった。
そして魚津城宛にと届いた不可解な一通の書状がある。差出人は織田家の武将である明智光秀。記載してある文中に「無二の馳走をせよ」とある。これは何を意味するのか。兼続は光秀が謀反を企んでいるのはと疑う。
さて天正一〇年といえば、歴史的にも大きな事件が勃発している。「本能寺の変」である。京の都では明智光秀が、本能寺に宿泊中の主君である織田信長に対して軍勢を差し向け、寺を包囲して攻めた。
信長は初音から脱出の誘いを断り、ここで果てることを決意。そして信長の夢、お前が見届けよ、と初音に最期の言葉を残して、明智勢に弓をもって応戦した。しかし多勢に無勢であり、信長は本能寺の炎と共に天へ召されていった。
そして越中魚津城も最期の時を迎えていた。柴田勝家は主君信長が非業の死を遂げたなどは知らず、総攻撃を仕掛けていた。魚津城に籠もる守将も力戦むなしく、本丸にある一室に籠もり、吉江宗信、安部政吉らは自刃して命を絶った。
魚津城落城の報せが春日山に届いた。織田軍は雪崩をうって越後へ攻め入ってくるは必定。こうなれば皆して救援に向かった時に戦って、一緒に死ぬべきであったと後悔する。しかしここで奇妙な報告が入る。上野の滝川一益、信濃の森長可、そして越中の柴田勝家が軍勢を率いて本拠へ退却しているという。
ほどなくして越後にも本能寺の変の急報が届けられた。さらに明智光秀は既にこの世には無く、すでに羽柴秀吉によって敗退した旨を兼続等は知ることになる。
越後には一時であはあるが平和が訪れた。直江家も例外ではない。兼続とお船はますます夫婦らしくなっていったのでありました。
上野からは滝川一益が、信濃からは森長可がそれぞれ越後目指して、軍勢を動かしたという報せを受けた景勝は、兼続からの助言を得て北陸道を、春日山へとむけて退却を始めた。
そしてそのまま二本木に陣を敷いている森勢に討ってかかった。しかし森長可はすでに陣を引き払っており、信濃へ退却していた。上杉勢は追い打ちをかけるが、森の軍勢が一歩先に退いてしまったのだ。痛烈な打撃を与えることなく、春日山へ無念の帰還を果たす上杉軍。
兼続は魚津城を見殺しにしてまで立てた策が、こうまで外れてしまい自責の念に駆られる。兼続も直江屋敷に帰るといつもと違った雰囲気が。
そこにはお船が与板より、春日山へ来ていたのだ。しかしいつもの笑顔ではなく、淡々と食事を勧める態度。
いつしか寝入ってしまった兼続。そのそばでじっと主人が起きるのを待っていた妻のお船。兼続はここで勝手に直江家の婿と決めてしまったことを、お船に詫びるのであるが、予想だにしなかった展開に。
兼続とお船、いままでお互いに前からこれを望んで居たことを、両者共に告白したのであった。
そして魚津城宛にと届いた不可解な一通の書状がある。差出人は織田家の武将である明智光秀。記載してある文中に「無二の馳走をせよ」とある。これは何を意味するのか。兼続は光秀が謀反を企んでいるのはと疑う。
さて天正一〇年といえば、歴史的にも大きな事件が勃発している。「本能寺の変」である。京の都では明智光秀が、本能寺に宿泊中の主君である織田信長に対して軍勢を差し向け、寺を包囲して攻めた。
信長は初音から脱出の誘いを断り、ここで果てることを決意。そして信長の夢、お前が見届けよ、と初音に最期の言葉を残して、明智勢に弓をもって応戦した。しかし多勢に無勢であり、信長は本能寺の炎と共に天へ召されていった。
そして越中魚津城も最期の時を迎えていた。柴田勝家は主君信長が非業の死を遂げたなどは知らず、総攻撃を仕掛けていた。魚津城に籠もる守将も力戦むなしく、本丸にある一室に籠もり、吉江宗信、安部政吉らは自刃して命を絶った。
魚津城落城の報せが春日山に届いた。織田軍は雪崩をうって越後へ攻め入ってくるは必定。こうなれば皆して救援に向かった時に戦って、一緒に死ぬべきであったと後悔する。しかしここで奇妙な報告が入る。上野の滝川一益、信濃の森長可、そして越中の柴田勝家が軍勢を率いて本拠へ退却しているという。
ほどなくして越後にも本能寺の変の急報が届けられた。さらに明智光秀は既にこの世には無く、すでに羽柴秀吉によって敗退した旨を兼続等は知ることになる。
越後には一時であはあるが平和が訪れた。直江家も例外ではない。兼続とお船はますます夫婦らしくなっていったのでありました。











