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ホームページ無くなる 
昨年のNHK大河ドラマ,「風林火山」であるが気がつくと,公式ホームページが無くなっていた。

どうやら様々な都合で1月31日で閉鎖された模様。

これは毎年恒例(?)のことであるが,もう少し長い期間,延長してくれていてもよろしいかと思うのだが。

そうも言っていられないのだろうか。

クライマックスである川中島の合戦近辺の情報に関しては,結果的に2ヶ月ほどしか公開されていない。

各俳優さんたちの熱い思いもここで,読めなくなってしまったわけだ。

残念なことである。


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風林火山 最終回「決戦川中島」  
放送開始してから1年が経とうとしていた。長い様でいてあっという間に過ぎ去った風林火山。今回で五十回目。そして最終回。

武田信繁,諸角豊後守の両将の討死が,本陣にいる武田信玄の元に物見より報された。言葉が無い信玄。その静寂をやぶったのが駒井から,陣形を立て直したという報告であった。

信玄は守るだけではなく,この戦には勝つという絶対の意志を,勘助と駒井に伝えた。勘助は信玄に自ら敵前に出陣する旨を伝え,本陣をあとにしていった。これが今生の別れとなった勘助と信玄であるが,この時はだれもそのことは知らない。

越後方の宇佐美定満は,上杉政虎に対して軍を退く様に促す。しかし政虎は断固,決戦することにこだわりをみせた。この武田に奪われた地を解き放つという意志の元。手にした杯を飲み干すと,宇佐美の静止を振り切る様にして,先頭に立って本陣の騎馬軍団を率いて突撃を開始した。

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妻女山へ向かった別働隊は,やっと下山に成功。これから千曲川を渡り,上杉軍へと攻めかかる準備を始める。しかし川向こうには村上義清が陣を敷いていた。それを六連銭の真田が攻め懸かる。宿命の対決がここでもはじまった。

勘助が軍を進めると,物見より上杉軍の本陣が攻めかけてきていることを報される。勘助は本陣を攻めることを,太吉と伝兵衛に命じた。その場へあらわれたのは太郎義信。義信は敵の本陣に攻め掛かると申したが,勘助が武田の御曹司にそんなことはさせられないと止める。また諏訪四郎勝頼の後事を託した。

勘助は甘利虎康や板垣信方の言葉を思い出し,また由布姫の亡霊と出会いながらも,騎馬での突撃を慣行した。

上杉軍の本陣では武田軍との交戦が始まっていた。宇佐美は兵を纏めようと奔走。その前に現れたのが勘助。宇佐美と勘助は馬上のままで,刃を交えた。宇佐美はその際に陣を退く様にと勘助に進める。このままでは共倒れになるからというのが,その理由であった。
その間隙を縫って走りさる一人の騎馬武者。その白馬にまたがっている武将こそが上杉政虎であった。勘助はその後ろ姿を追い武田本陣へと向かう。

政虎は誰に邪魔されること無く,武田信玄の目前にまで馬を進めることができた。そして政虎は馬上のまま太刀を振り下ろし,信玄はそれを軍配でもって受け止めた。

後世に伝わる「三太刀七太刀」の一騎打ちの一幕である。政虎が三振り太刀を信玄目がけて振りかざし,信玄が受けた軍配には七つの刀傷が残っていたというものだ。

政虎の騎馬が武田兵の槍につかれ,そのまま走り去っていく。その姿を認めた信玄は,あの騎乗の将が越後の龍神,つまり政虎であると確信した。

勘助は政虎を追い馬を走らせる。しかし深追いしすぎたためか,矢を二本胸にくらい,さらに直江に兜を弾かれ,落馬してしまう。

遙か先には白馬にまたがる政虎の姿。それに近づこうとするのだが,勘助の周りには首を求めて越後兵が群がり,槍,刀が勘助の体を突き狙う。なんとか越後兵の包囲を,必死に逃れることが出来た勘助。しかし鉄砲には勝てなかった。

勘助の体に鉄砲の弾が数発。そして勘助が倒れた。

しかし勘助はまだ,息があった。勘助の目には本陣がはっきりと写っており,まだ武田軍が負けていない証拠でもあった。

最後まで戦おうとする勘助。太刀を杖に立ち上がろうとする勘助。勘助の目の前にあらわれた槍を向ける一人の武者。それは平蔵であった。勘助は平蔵に「我が首を討て」と命じる。そして自らの首より摩利支天の首飾りを,平蔵に託そうとするが,平蔵は流れ矢により絶命。

その時,六連銭の旗印の騎馬武者が,八幡原へ現れた。勘助は勝利を確信した。そして「武田が軍師,山本勘助,その首を頂戴する」という声と供に,武田の勝利を見るこく,この世に幕が閉じられた。

甲斐のリツはそれを察して涙する。

戦は終わった。上杉軍は善光寺に引き上げ,武田軍はその場に居座った。

八幡原で勘助を探す伝兵衛。首の無い勘助の遺体をみつけた伝兵衛は,小さなからだでそれを担ぎ武田本陣へ向かう。武田本陣では武田信繁,諸角豊後守の遺体の前で,重臣等が頭を垂れていた。

そこに伝兵衛が勘助の体を,そして太吉が首を取り戻し信玄の元へ駆けつけた。重臣等の目の前で勘助の首と体がつながった。最後は笑っていたとか。信玄の音頭で勝ちどきを挙げた武田の諸将。

かくして申の刻に,武田軍は八幡原を後にしていった。

平蔵は越後へ戻ろうとした。二人の子と妻ヒサの元へ。しかし力尽きて倒れてしまう。その後はどうなったのか。おばばに助けられたのか,それも・・・。


こうして風林火山は終了した。

戦国時代というとびきり魅力溢れる時代を,山本勘助という謎多き人物でもって描いた大河ドラマ。軍師ということでも,いままでに無かった題材ではなかっただろうか。これが来年の大河ドラマに結ぶ伏線とでもいえようか。そういえば桃姫の子である景勝も,そっと登場させているのも謎かけであろうか。

楽しい1年を楽しませてくれたNHK様,ありがとうございました。

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風林火山 第49回「死闘川中島」 
ついに決戦の時がきた。濃い霧が川中島周辺に発生するとの情報を得た勘助は,軍勢を動かすことを決断する。

宇佐美定満もまた,おふくより濃霧が川中島一帯を覆うとの話を聞き,注意深く武田軍を観察するのであった。

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勘助は一計をめぐらして,主君である武田信玄へ進言したのである。それは武田軍を二手に分け,一方を上杉軍の籠もる妻女山へ押し出させ,もう一隊を八幡原にて待機させておき山を下ってきた軍を挟み撃ちにするというもの。

馬場民部はそれを,キツツキの様だと勘助の策を妙案であると同調した。それを受け信玄は明日以降のはやい時期の策戦実行を頭に描いた様であったが,勘助は今晩であると即時実行を決断させた。

海津城ではそれぞれの武将が,来るべき決戦に備えて腹ごしらえ。勘助は真田幸隆と相木市兵衛と昔話に花をさかせてもいた。

信玄はというと実弟の信繁と二人きりでの夕餉。お互いに杯を酌み交わすなど,出陣前の夜に限っては主従ではなく兄弟。そういえば信繁は信玄が家督を信虎より奪った後,兄ではなく御館様と呼ぶ様に心がけていた。

そんな信繁に信玄は母衣を与えた。信玄直筆の文字が加えられたものである。これを付けていれば討死しないよ,と信玄からのお墨付き。価値あるものである。

こうして出陣準備にくれる武田軍。それを察知したのが上杉の軍師,宇佐美定満であった。霧のことを事前に知り,また武田の海津城から立ち上る飯の炊煙により,出陣が近いことを上杉政虎に進言した。

政虎は一気に本軍がいるであろう八幡原を急襲する決意をし,妻女山には篝火を焚き指物を連ねて偽装工作を行い,山を下りたである。

夜陰にまみれての下山。千曲川を渡る軍勢の姿は,頼山陽の漢詩「川中島」でも謳われた「鞭聲粛々夜過河 暁見千兵擁大牙 遺恨十年磨一剣 流星光底逸長蛇」の場面である。
そうとは知らない武田軍だが,妻女山へ向かった別働隊一二〇〇〇には不安もあった。妻女山へ物見に向かわせた者達が一人たりとも戻らないということだ。

それでも信玄率いる八〇〇〇の本隊は夜陰にまみれて八幡原へと向かった。

別働隊が妻女山へ攻めかけるのを,今か遅しと待つ武田本隊は鶴翼の陣を敷き,敵勢があらわれるのを待ちわびている。信玄と勘助は不安に駆られていた。

そんな時,武田本陣に物見の報告がもたらされた。前方に騎馬隊があらわれたというのだ。

勘助失策!

うろたえる勘助に対し信玄は冷静であった。勘助を一喝。そして武田が勝ための方策を軍師としての勘助に求めた。勘助は敵の陣形が車懸かりであり,一気に武田の軍へ攻めかけてくる様子を目にした。

勝つためには別働隊が到着するのを待つばかりである。耐えるしかなかった。また妻女山に向かった別働隊はこの頃になって,敵がすでに下山していることを知り,急ぎ山を下るのであった。

上杉軍の先鋒は柿崎景家の軍勢。武田の先鋒であった。次々に武田の軍勢が植えすぎ勢に切り倒されていった。

信玄の実弟,武田信繁は自軍の危機を救うため,自らの軍勢を率いて上杉軍へ突撃を慣行する。途中,春日源之丞に信玄より貰った母衣を手渡し,嫡子である信豊にわたす様にと託した。

「われは左馬助信繁なり」

信繁の危険察知した諸角虎定も老体を鞭を打ち,馬を駆って追いかける。信繁は奮戦むなしく,最後は柿崎景家の刃に倒れた。また諸角豊後も敵に討たれた。
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風林火山 第48回「いざ川中島」 
永禄四(1561)年八月,越後の上杉政虎は軍勢一万八千を率いて,春日山城を進発した。甲斐の武田晴信以下武田家重臣等は,海津城の香坂弾正より報せを受け軍議を開催。

こうして軍議の間にも城攻めにあっているので,至急救援の軍を派遣すべきであるという声や,それほどの人数で押し寄せられれば,海津城など即座に落城してしまうのではという不安の声が上がる。しかし信玄と山本勘助は冷静であった。

勘助はその理由を説く。越後勢も此度ばかりは決戦を挑むはず。海津城を落としてしまえば,武田の本隊が川中島まで出向く機会を失ってしまうというのがその理由だ。

案の定,翌日になって上杉政虎率いる軍勢が,海津城へ攻め寄せずに妻女山へ布陣したとの報せを受けた。武田信玄は出陣の下知を出す。

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信玄は妻の三条より,わたしのために勝ってくれと懇願される。そして信玄は必ず勝と約束をする。由布姫を側室に向入れて以来,最後の最後で夫婦の絆が深まった一場面でもあった。

山本家ではリツが,勘助こと父上に嫁ぐ決断したことを打ち明ける。また山本家は守ると力強い言葉でもって決戦に赴く勘助を見送った。

途中,勘助は諏訪へ立ち寄り由布姫の墓前に手を合わせて報告する。それは四郎勝頼の初陣であった。今度の戦に初陣させるつもりであったが,由布姫の幻が勘助を引き留め,首を横に振ったのであった。それに惑わされたのか勘助。初陣ということに高歓びしている勝頼に,此度は諏訪の守りを固めるので高島城へ入る様に信玄より下知があったと偽る。
勘助は上田に本陣を構え,信濃衆の集結するのをまっている信玄の元に赴き,勝頼を諏訪へ留ませた旨を報告。勘助の判断に理解を示した。

駒井は勘助が信玄に一身を捧げて仕えているのをうらやましがる。しかし信玄は駒井は武田家に無くてはならない人物であるので,どんなことをしても生き延びよと諭すのであった。

武田軍は信濃衆を加えて進軍。越後勢が立て籠もる妻女山を囲む様に陣を敷いた。

宇佐美定満は平蔵を傍らに,武田の包囲している陣を見下ろして,先に動いた方が破れるとこの合戦の勝敗を読んだ。また政虎は人の戦ならば,我が軍が負ける。しかし神の戦なら我が軍が勝利するなどと口走るが,これは自らを神とあがめるが故の余裕と受け止めることができるであろう。

両軍にらみ合いのまま,武田軍は妻女山の包囲を解き,海津城へ入城する。そこで策の練り直しであった。信玄は勘助と馬場の両名に策戦を考えろと命じた。

そんな折りに以前,行方不明となっていた原美濃守が生きていたという報せを受け,勘助がその地へ向かった。

原は手傷は追っていたが,命には別状はないとのこと。彼を助けたのがおふくという老婆。彼女に褒美をとらせつつ,この川中島一帯に濃い霧がでるのはいつ頃になるかと尋ねると,おふくは窓より外を見ながら明日であるとつぶやいた。
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風林火山  第47回「決戦前夜」 
関東へ出兵し,相模小田原の北条氏康までもが,関東管領となった上杉政虎に屈してしまうと,甲斐の武田信玄は窮地に追いやられてしまう。そうなる前に上杉政虎と決戦を挑む必要があった。

そこでまず海津城を築き,そして越後方の割ヶ岳城を攻め取ったのである。

上杉政虎率いる関東連合軍10万は,依然として小田原城を包囲し続けていた。しかしその包囲網にほころびが見えてしまった。それは味方であるはずの成田長泰が自ら軍を退け,居城である忍城へ撤収にかかったためである。これは前回のラストで,政虎に鞭で叩かれたことへの恨みでもあった。

それに呼応し,幾人かの大小名も自領へ引き上げていった。

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さらに武田軍が越後へ兵をむけているという報を聞くや,越後へ撤収を早々に決断。人質とした伊勢殿は丁重に忍城へ届けるといっていたが,映像では語られることは無かった。

難を逃れた小田原の北条氏康。甲斐武田晴信の今後の行為に危機感を抱く。確かに後年のことであるが,敵対関係となるのであった。こうして関東は上杉政虎に統一されることなく,北条氏を第一勢力として群雄割拠が続くのである。

さて武田家。割ヶ岳城攻めの論功行賞が行われていた。そんな中で伝兵衛が信玄より褒美を頂いた。碁石金を三すくい。碁石金の山より両手で三回すくい,それをすべて貰うというものだ。

伝兵衛の手柄というよりは,真田の忍びである葉月の功である。そしてこの二人は夫婦となった様だ。

夫婦といえば,勘助が香坂弾正を自邸に招きリツに引き合わす。そして城盗りの極意は彼女にあるとして,二人を夫婦にしようと働きかける。リツは旦那様(勘助)が死んだら,嫁にいくなどと言うが満更でも無い展開。

そして当初予定していた決戦は年明け(永禄五年)以降だと予想をしていた武田家。しかし越後上杉家はなんと,関東出兵より二ヶ月ほどで軍を招集。

直江景綱,宇佐美定満は主立ったモノの前で,今回の出陣に意気込みを語る。そして上杉政虎。

「運は天にあり,鎧は胸にあり,手柄は足にあり
何時も敵をわが掌中にいれて合戦すべし
死なんと戦へば生き、生きんと戦へば必ず死するものなり 」

を発し,また自らを毘沙門天であると高らかに宣言。兵らの士気を高めて8月,一万八千の兵を率い川中島を目指した。なんとなく今回の政虎の出で立ちは,ビジュアル系の雰囲気の漂う鎧姿である

その報はたちまち狼煙でもって,甲斐の信玄の元に届けられ軍議が開かれ様としていた。
さて次回からはとうとう最終局面である川中島の合戦に突入。どんな合戦に仕上がっているのか楽しみである。




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風林火山 第46回 「関東出兵」 
武田信玄と山本勘助。二人の密談は長尾景虎の動き。朝廷より関東管領上杉家を手助けせよとの詔があり,関東へ出陣した後には信濃への影響も考えられる。そうなれば信濃の大小名たちが長尾家に付く恐れがあり,次に戦うに時には決戦の覚悟をする必要があると,今の状況を二人で語った雰囲気であった。

永禄三(1560)年,由布姫の子である四郎が元服。烏帽子親を勘助が務め,名を諏訪四郎勝頼とした。でもこのドラマでは初陣を飾ることは無いのが残念である。

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永禄三(1560)年,由布姫の子である四郎が元服。烏帽子親を勘助が務め,名を諏訪四郎勝頼とした。でもこのドラマでは初陣を飾ることは無いのが残念である。

さて越後であるが,長尾景虎は上杉憲政と供に越後より兵を率い,三国峠を越えて関東へ出陣。上野の厩橋城を早々に占拠するとここを本陣とさだめた。

一方,関東一円の支配を目論む北条氏康。上総里見氏の久留里城を攻めていたが,景虎出陣の報に接すると,いち早く兵を纏め武蔵松山城へ籠もった。

景虎の元に関東諸将が馳せ参じてきた。その中には上杉憲政の旧臣であった長野業政もいた。憲政としては心強い一人である。総勢10万にもおよぶという大軍勢であった。

この情勢に景虎は少し自らを奢っている気配を,宇佐美定満は感じていた。それが嫌な現実となったのは今回のラストである。しばらくお待ちを。

景虎は軍勢を率い武蔵忍城を攻め,成田長泰を降伏させていた。成田は源氏の名門ということで,景虎は自ら足を運んで忍城内まできた。そこで成田の正室,伊勢姫を言葉巧みに人質にすることに成功。

これは成田氏が裏切り,忍城が北条方となれば,補給が途絶える恐れをもっていたためであった。

一方の北条氏康は相模小田原城へ籠城。また北条方の諸将もそれぞれの城に籠もり,景虎を待ちかまえていた。当時の小田原城は今の小田原城からは想像もできないほど,立派なお城であったと今に伝えられている。城の規模は戦国時代を通しても一,二を争うくらい。これより30年後になるが,豊臣秀吉が大軍を率いて攻めても攻めきれなかったほどである。

景虎は小田原城を3日で落とすと豪語するのだが,落城する気配は無し。神仏を信仰し,また自らを化身だと思い込んでいる景虎。自ら杯を持ち城門から三〇間の位置で座り込んだ。そこで悠々と酒を呑むのだが,北条方からの弓,鉄砲は全く当たる気配が無く,景虎は無傷であった。

一ヶ月の後,景虎は鎌倉の鶴岡八幡宮でもって,正式に上杉憲政の養子となり,名も上杉政虎と改める。そんな折り,政虎の列を馬上で見守るモノが居た。それこそ忍城の成田である。景虎はそんな成田を自ら馬上より引きずり落とし,手に持つ鞭で殴り続けた。

これが後にどういった影響を与えるのか,来週以降のことである。

さて甲斐の武田家について,ほとんど語られていないが,今回では重要な部分があったので追記しておく。

やっとというか,遂に登場したのが海津城。山本勘助監修の元で,香坂弾正が縄張りから築城を行ったということだろう。

香坂は今後もさらに勘助より軍略を学びたいと懇願。なぜ香坂が未だに(34歳)独身なのか,と問いつめる勘助であったが,それは・・・ねぇ。なんとなく先が読めそうだが,「甲斐の山本家に来い,あげたいモノがある」という台詞から読み取れるものは。

さらに伝兵衛が葉月に「嫁になってくれ」などとプロポーズ。こちらの結末はどうなるだろうか。

もう46回目を迎え,泣いても笑っても残すところあと4回。決戦は間近である。


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風林火山 サントラCD 第二弾 
NHK大河ドラマ「風林火山」のサントラCDの第二弾が発売決定。
その名も完結編。

風林火山~完結編~
風林火山~完結編~

第一弾ではドラマが進みにつれ,未収録の曲も多く批判の多かった。
そこで今回の完結編の発売になったと思われる。
重複する曲があるのか,それともまったくの新装なのか。
まだよくわからないが,買うことには成だろう。

風林火山
風林火山


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風林火山 第45回「謀略!桶狭間」 
今回は桶狭間の合戦である。戦国モノを扱ったドラマには外せない一大イベント。当然信長を際だたせたモノが大半であるのだ,風林火山ではどう描かれるのか。

武田信玄の暗殺に失敗した。その謀略を発案したのは越後長尾家軍師の宇佐美定満。その手先となり動いた平蔵は,失敗した旨を宇佐美に告げるため越後に戻っていた。たぶん平蔵はこのまま宇佐美に仕えるのであろう。



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さて武田家である。信玄暗殺未遂の騒動の一端に駿河が絡んでいるとなると,いずれまた信玄に刃が向けられることを恐れる勘助。また寿桂尼の動き,今川義元に対して脅威を抱き始めていた。

そんなおり尾張から旅の僧が甲斐を訪れ,信玄に目通りしていた。その僧より信玄は織田信長の人となりを頭にいれたのである。

永禄三(1560)年,駿河今川義元は大軍を率いて上洛を決意。その進路に立ちふさがるのは尾張清洲の織田信長。その押さえとして大高城に鳴海城がある。それを囲む様にして織田方の砦が点在。義元はまず遠江の沓掛城へ進軍する計画をたてるのだが,その先については考えかねていた。

そんな折りに勘助が駿河を訪れたのである。庵原之政より今川家の計画を聞いた勘助は義元に進言したくなったのだとか。

勘助が義元および寿桂尼に進言した内容は,沓掛城から一気に清洲城を攻めるという筋道である。もちろん義元はこれには反発して嘲るのであった。

これには勘助に深い読みが。これより前に伝兵衛らを交えて尾張周辺の調査をしていた。そこで織田方の騎馬武者が桶狭間という地を念入りに調べまわっているという。その地に向かわせるには,沓掛より大高城や鳴海城へ兵を進めさせるしかない。また義元の性格から勘助の意見には耳を貸さず,反対の行動にでるとの読みであった。

今川軍は先鋒の松平軍が,大高城へ兵糧の搬入へ成功するなど,万事物事がうまく動いていた。義元は勘助の進言とは逆に,清洲へ向かう道は通らなかった。

油断か謀略か,それとも信長の強運か。桶狭間の地で小休止している今川軍本陣に目がけて鉄砲が撃ち込まれたのは,雨もあがった昼下がりである。

義元が織田方の毛利新介に討ち取られる場面は無かったが,今川軍はこの地で敗退。生き延びた兵は駿河へ逃げ帰り,義元が嫡男であればよいと思っていた,松平元康は岡崎城に籠もった。

寿桂尼は落胆した。首になって戻ってきた息子義元を見て。そして甲斐武田に警戒心を強めたのである。


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