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歴史小説 「群雲,賤ヶ岳へ」 
そもそも「乱世が好き」という題で発表された作品であり,のちに「軍師 官兵衛」と改題され出版された歴史小説である。

それがこのたび文庫化されるにあたり,「群雲 賤ヶ岳へ」として刷新されたているが,内容に大きな変更は無い。

「群雲,関ヶ原へ」に続く「群雲シリーズ第二弾」というのが触れ込みだ。

しかし本書を読んでみるみるとわかるが,賤ヶ岳の戦いに主眼を置いて語られているのではない。

賤ヶ岳で行われた戦を期待して手に取った場合,当惑してしまうことになり得るのでここで注意しておく。

本書は当初に出版された題名の方が合致している気がする。乱世を生き抜いた戦国武将の物語。

また最初に改題された通り,羽柴秀吉という武将に仕えその軍師として生きる喜びを知った黒田官兵衛。

官兵衛の武人として,軍師として,そして官兵衛の人間性を伝えるエピソードなど,乱世に生を受けた武将の生き様を堪能できる。

読み終わった時,黒田官兵衛という武将の見方に変化があらわれることだろう。



群雲、賤ヶ岳へ (光文社時代小説文庫)
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天地人 第三四回 「さらば,越後」 
直江兼続の元へ駆け込んできた石田三成からの急使。その使者に導かれ,何処かの館へ連れて行かれる目隠しをされた兼続。そこは豊臣秀吉が養生のために寝起きしている館だという。

秀吉の部屋に通された兼続。秀吉は憔悴しきっており,兼続に同行している三成を秀次と見間違えてしまうほど。兼続を呼び出した秀吉は,上杉家にある頼み事をするためであった。それは上杉家の国替えである。現在の越後から会津へ行ってもらいというのだ。石高は越後よりも増え,上杉家は徳川家や毛利家にも匹敵する,一〇〇万石の大大名へとなる。

兼続は突然のことでもあり,なにも言えないが秀吉は苦しみながらたてつづけに懇願した。関東の家康の抑え,日本国の安泰のため,決して秀頼の行く末だけを考えてのことでは無いと。

上杉家の屋敷へ戻った兼続は国替えの件を主君である上杉景勝に報告した。景勝の見通しでは秀吉死後の日本は乱れる。ならば越後の民を守るという気持ちであった。兼続の考えは少々違った。かつて謙信が関東管領として越後だけでなく,関八州の安泰を願い奮闘した志を継ぐことが大事であると。

景勝の気持ちは揺れ,一ヶ月後に会津入りを承認した。

国替えの旨は越後春日山で兼続が景勝に替わって家臣等に伝えた。不満を口にする上杉家臣団。兼続の実父である樋口惣右衛門は会津の魅力を伝えるのだが,言い終えるとため息が出てしまう始末。

兼続は泉沢久秀の屋敷を訪ねた。しかし久秀は仮病を使い床に伏せっている。越後を離れることに反対している様だ。兼続は久秀と二人きりになるとある依頼をした。それは国替えにあたり家中の中で身内を越後に残しても良いという者を探して欲しいとのことだ。もし国が乱れた際に越後へ戻る時,それを手引きしてくれる者が必要だという。久秀は乗り気になった。

また景勝の実母である仙桃院は越後に残り,謙信の御霊を守るという。

お船はひさしぶりに越後へ戻ってきた。そして子供達と供に越後での最期の冬を,雪を,かまくらに入って楽しむお船であった。

年があけ慶長三年一月,正式に上杉家に対して,越後から会津への国替えが命ぜられた。これにより会津,米沢,出羽,佐渡,それから庄内と会わせて百二十万石からなる大大名上杉家の誕生であった。また秀吉から景勝に直接,兼続には米沢三〇万石をということであったが,兼続自身はこれを固辞したのである。

この国替えを徳川家康は,秀吉が死を悟り最期に一手と読みながら,最後の悪あがきであり,読みが甘いと側近の本多正信に語った。この国を新しく作り替えるのは自分であると野心の炎を燃やし始めたのである。

国替えの準備に越後へ戻った兼続。春日山城では久秀とその子らを目にした。彼らは土を手に取っているだった。また久秀は二男と三男は越後へ残しておくことを兼続に伝える。

また兼続はお涼との別れの挨拶をする。お涼にとってみれば愛しの兼続と別れるのは辛いだろうが,これも致し方無きこと。

兼続と景勝は八海山にのぼり,そこから越後の姿を最後にと目に留めていた。

そして国替えが行われた。多くの民を引き連れて,越後から会津へ向かう人々。家財道具一式を手押し車に乗せの移動は楽な物ではない。それを兼続は励まし,手伝いながら一緒になって会津へ向かうのであった。





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天地人 第三三回「五人の兼続」 
越後上杉家の家老となり、重要事はすべて直江兼続が差配していた。ある日、主人の景勝へ報告へと向かう兼続。景勝から「よいっ」と強い口調で何も聞かずに言われた。景勝が言うには、兼続が分かっていればそれで良いとのことである。兼続が思うがままに働き、景勝自身はその盾、つまり責任は全うすると言うのだ。景勝が兼続に対して抱いた信頼の証でもあった。

この時の景勝が発した言葉「兼続が5人いれば、越後は易々と治まる」が、後に重大な意味を持つこととなる。

この二人のやりとりの時、関白秀次が謀反の嫌疑により高野山へ追放されたという報せが春日山に届けられた。兼続は急ぎ、上洛の途についたのである。

関白秀次は追放後、7日で切腹となった。このことで一番心に不安を抱えているのが同じ養子である秀俊。兼続の元へやってくるなり、親父様(秀吉)に命を奪わぬ様に頼んでくれという。兼続は名家小早川家への養子が決まっており、その心配は無用であると秀俊を安心させたのであった。

関白秀次が謀反とのことであるが、事の真相が不明であり、兼続は自ら三成へ聞くため足を運ぶが会うことはかなわなかった。

伊達政宗。今度はこの奥州の大名にまで嫌疑が掛けられていた。関白秀次と親しくし、また鷹狩りなどで密談していたというのが、謀反の疑いだと詰問者は言う。政宗は笑って取り合わない。人に会えば話しをするのがあたりまえだと言い張るのであった。また関白と親しくすることで何が悪いのかと、逆に問い詰める始末。この一件は三成が、伊達と関白が親密であったという事実だけ分かったと言い、政宗を解放した。

この政宗への疑いは徳川家康から北の政所経由で秀吉へ、取りなしを願い何事もなくすんだ。

そして事態はさらに悪い方向へ。秀次の妻女をふくめ、一族が三条河原で処刑されるという。兼続はその場に向かい、三成がその指揮を執っている様であった。何か叫ぼうとするが、初音にとめられる。

兼続は三成へ会うためたびたび足を運んでいた。この日も断られ館へ戻ろうとするとき、拾と戯れている秀吉に呼び止められた。秀吉に招かれるまま部屋に入る兼続。そこには真新しい装束が。実は拾を関白を継がせるため、官位を賜りに行ためにつくらせたものだという。

そこへやってきたのが三成。兼続を確認すると場が悪そうな顔をしながら秀吉の方へ向かい頭を下げた。秀吉が三成を呼んだのは新しい命令を与える為である。その命令とは聚楽第を破壊せよ、それも跡形もなく消してしまえ!というものであった。三成はそれを聞くと退室していく。

ここで兼続は秀次の一族が殺された真相を知らされる。実は秀吉が拾の為と思い、拾を守るために謀反人の一族を殺害したという。この命を受けた三成は反対したそうだが、秀吉からみれば考えが甘いらしい。

兼続はさらに三条河原で聞いた初音の言葉を思います。石田三成は人一倍、痛みが分かる。いつも正しい事なのかどうかを一人で苦しみ続けていると。

秀吉は拾の為に、諸大名から忠誠を誓うための起請文を求めた。徳川家康や前田利家、それから上杉景勝等の面々がそろっていた。

秀吉退席後は、徳川家康による三成の糾弾であった。関白であった秀次への処遇についてである。何も切腹をさせる必要は無かったのではないか。というのだ。三成はただひたすら頭を垂れ「面目次第もない」と言うのが精一杯。家康はさらに攻めの手をゆるめず、太閤の陰謀という流布があり、これも三成がいたらぬためであるなどと言ってきた。

反論したのは上杉景勝であった。主の責めを家臣に求めるのは見当違いであるというのだ。家康と景勝、両者の間に入ってこの場をおさめたのが、前田利家であった。

この景勝の発言を大いに喜んだ兼続。そして景勝のある言葉を思い出す。「兼続が5人いれば」。

兼続は三成を人気の無いところへ連れだし、二人っきりで話をした。兼続は提案した。政(まつりごと)のカタチを改めるというのだ。現行は秀吉の専横である。それを合議制とすることで、大名等の力を逆に封じ込めるというのが狙いだ。三成は兼続にも手伝わせるという条件で受け入れた。

話はとんとん拍子に進み、大老職を六人の大名、前田利家、上杉景勝、毛利元就、小早川隆景、宇喜多秀家、そして徳川家康とした。三成は家康についてははじめ反対であったが、兼続が言う大老という仲間に組み入れることで勝手なことをできない様にするという意見に納得したカタチだ。さらに奉行職を三成を中心に置くことを決めた。

しかしこれをどうやって秀吉に提案をするのか。前田利家の元に向かった三成と兼続。ここで利家に相談した結果、秀吉に直接言っても無駄なので一計を施すこととなった。

秀吉の前にでた利家。それから三成と兼続。秀吉は書面を読んだだけで怒り心頭。聞く耳もたないという構えだ。利家がすかさず兼続に意見を求める。すると兼続は、過去に上杉謙信公が跡目を決めなかった為に、悲惨な内戦により国力は疲弊したという。現時点での政権力を盤石にするために必要なことだという。

それでも秀吉は納得しない。

ここで三成が涙を流してしまった。それを見かねた利家。秀吉に対して、この二人ほど殿下の為を考えている者は居ない。情に訴えついに秀吉はこの制度を受け入れた。

こうしてできあがった6大老、5奉行の制度。

兼続と三成の仲はさらに親密となった。しかし大変な事態が起きていた。淀君の前で拾と戯れていた秀吉が倒れてしまったのだ。




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天地人 第三一回 「愛の花戦」 
天正十九年、出羽庄内でおきた一揆鎮圧へ赴いた上杉景勝と直江兼続主従率いる上杉軍。
京では菊姫とそれに従うお船は、北の政所が主催したヒメサユリの花見でもって、諸大名家の妻女たちに紹介されていた。そこで北の政所が菊姫を気遣い、子ができないことについて、側室でも産んでもらえば良いなどと慰めた。

しかしそれは菊姫の怒りを買うだけ。ご心配無用!ときつい口調でもって返礼をしただけでその場を退出してしまった。部屋から出ても怒りが治まらない菊姫。お船にもどうしようもなかった。そこへ声を掛けてきたのが淀君である。

淀君は菊姫に問うた。越後にはヒメサユリは沢山咲いているのか?と。菊姫にお船は素直に咲いている旨を伝えると、淀君は沢山欲しいと言い京へ送ってくれという催促である。
越後からは部屋を埋め尽くすほどのヒメサユリの花が届けられた。淀君はこれ見よがしに大名家の妻女を招き入れ、皆の「きれい」という言葉と笑顔を見て満足していた。

翌月、天下を揺るがす大事件が勃発。豊臣秀吉の子である鶴松が逝去してしまった。三歳である。落胆する秀吉。北の政所も悲しみを淀君へ伝えるが、なにか疑う様なまなざしの淀君。

この悲しみを乗り越えるためか、忘れるために行ったのか朝鮮への出兵を決意した秀吉。
年が変わって文禄元年正月。兼続は館でお船がいない分、母親代わりも努めていた。子と戯れる兼続の元へやってきたのが主君である景勝。二人とも妻は京へ人質として出仕しているのであった。

すでに朝鮮への出兵のことは越後まで伝えられている様で、また世情についても二人の口から伝えられた。秀吉が太閤となり、関白は甥である秀次に譲ったとのことだ。しかし渡海してまでの戦には甚だ疑問がある様だ。

子を失った淀君は覇気が無くなっていた。いままで慕っていた奥方連中も陰口を言う始末。見かねた菊姫は淀君の部屋を訪れ励ますのであった。やがて淀君は「信玄の子が信長の姪を励ますのか」と言い、二人は打ち解けていった。

北の政所は秀吉が渡海するのには反対であるが、それを聞き入れる秀吉ではない。さらに出陣の折りには、と一緒に連れて行ってくれと示唆するのだが、淀が行からと断られてしまう。

朝鮮へ出兵の準備に奔走する石田三成。そこへ兼続がやってきて、二人っきりで時間を作った。兼続が訪れた目的は一つ。今回の出兵に関することである。思いとどまらせようとするが、三成は「これは国の礎を固めるものだ」といい、「豊臣の天下を安泰のものにするため」であると押し切った。

北の政所は徳川家康に上杉景勝、さらには直江兼続を招き、秀吉が海を渡らない様に尽力してくれと願った。

兼続は今回の出陣にあたり、異国の地で死ぬ覚悟であった。お船や子達には仙桃院を頼れという遺言まがいのモノまで認めていた。それをお船にたしなめられ、元気尽く兼続。

そして遂に朝鮮へ向けて兵を差し向けたのでありました。





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天地人 第三二回 「世継ぎの運命」  
ついに日本を離れ朝鮮へ渡海した上杉景勝と直江兼続。熊川という地でもって普請に追われていた。そこへ本国より命令が届く。即刻、帰国の準備をせよという内容であった。

早速、帰国の途につく上杉勢。景勝と兼続は早速、大阪城へ向かい秀吉に謁した。そこで主従が大阪城で目にしたのは赤子を抱いた秀吉の姿。そばにいるのは淀と秀吉の養子である秀俊。秀吉が抱いているのは、淀が産んだ男の子の拾でる。笑顔を絶やさない淀、そして秀俊への対応が冷ややかな秀吉であった。

景勝と兼続は秀吉の態度に疑問をもった。総大将としての心得に不信感を抱いたのである。また秀俊への秀吉の態度。子が生まれたことで養子に対しての扱い、秀俊ならびに関白にまでなっている秀次への仕打が気になっていた。

そこへ噂の秀俊が現れ、上杉景勝ならびに直江兼続について、愉快に褒め称える。そしてこれからも昵懇に頼むと言い残した。

そんなある日、景勝と兼続は毛利輝元に招かれ屋敷を訪れていた。そこにはもう一人、輝元の叔父である小早川隆景の姿もある。毛利家から驚くべき提案がされた。

秀吉の養子である秀俊を上杉家の養子として迎えないか。

上杉家には未だ、景勝の後を継ぐべき子が不在であった。その為に秀俊の件、悪い話では無いというのが毛利家の言い分である。しかし裏を返せば、秀俊を毛利家に養子に差し出すと秀吉が言い出し、それを迷惑と思った輝元が話を持ってきたというのである。

秀俊を迎えることで、お家に難儀があることは間違いないと踏んでいるらしい。それは上杉家も同様。景勝は言葉の上では「困る」と言って、養子を迎える件は断るのであった。
この話を菊姫、お船に伝えた景勝。当然の様に反対の意見であった。この話を聞いたお船は北の政所に相談し、解決を願いでた。「秀俊も不憫じゃの」とは北の政所の言葉。事実、秀吉から請われて養子となっておきながら、毛利家に再度養子としてだされようとしている。しかし太閤の養子でありながら、それを難儀だと言って断られてしまう実の甥を思って出た言葉だろう。

その北の政所から話を聞いた秀俊が景勝の元へやってきた。養子である身であるのに、さらに別の家へ養子として出るのは嫌だというのである。同じ養子という立場であった景勝は何とかしてやりたいが、どうすることもできず、定めには抗えぬものと、ただただ心中を察する言葉を掛けるのが精一杯であった。結局秀俊は小早川家へ養子として向かい入れられ、小早川秀秋と名乗る。

もう一人の養子であり、関白という地位を手に入れた秀次。秀吉は自ら秀次に直談判に向かっていた。日本の国を5つに分けて、その中で1つを拾にあげてくれぬか、と懇願した。しかし秀次は何も申すことなく、その席を立ってしまった。秀吉の怒りは尋常ではなくなっていた。部屋のモノに当たっていたのである。

秀吉は決意した。城を築くことを。場所は京の伏見。全国の大名へ普請の為の人足を要求。越後からも四千ほどが動員されることになった。伏見城である。

文禄三年七月、ついに直江家にも男児が誕生した。跡取りができたということで、兼続とお船は大喜び。しかしその場には祝いに訪れていた景勝の姿が。そしてしばらくして菊姫もやってきた。平和な越後の光景である。

そして伏見城が完成した。徳川家康や毛利元就、上杉景勝らが築城の祝賀の為に城へ集まってきていた。しかしとうの秀吉は病ということで、大名等の前には出てこなかった。それを伝えに来たのは石田三成。その旨を口上して立ち去ろうとするのだが、家康に引き留められ、さらにノラリクラリと皮肉られた。城の普請、秀俊の一件などなど。

だれもいなくなった一室。三成は一人残っていた。そこへ姿を現したのが兼続。兼続は大の字に寝そべり、三成にも同じ格好をすると気持ちが良いと誘う。そして「嫌味など気にするな」と家康の言葉を気にするなと三成を慰め、そして元気づけようとしているのだ。三成は「また越後へ行きたい」とつぶやくと、兼続は「いつでも来い」ともてなす気持ちがあることを伝えた。

越後へ戻った兼続。泉沢久秀より府内に子供に学問を教えるうってつけの人物がいると聞いた。実は兼続の娘たちが父によって、手習いを受けていたのである。その人物は茶道もたしなみ、さらに美人というのだ。

さっそく府内湊の若狭屋へ向かった兼続。そこで目にした人物とは千利休の娘であるお涼であった。天下人に逆らった娘として、京にいられなくなり越後へ巡りついたという。しかしまもなく越後を離れる言う。

帰り際、兼続を慕って在の者達が集まってきていた。一様に家老である兼続をしたい、お礼を言っている。その姿を見つめたお涼は何を思ったのか。

翌日、兼続は二人の娘を連れて若狭屋へやってきた。もちろんお涼に手習いをしてもらうためだ。そしてしばらくこの地で暮らしてみてはどうかと、お涼を引き留めたのであった。

そして京。関白秀次が、石田三成から厳しい言葉を掛けられていた。謀反の疑いがあるので、しばらく高野山で謹慎してもらいたいというのである。

謀反などまったくの濡れ衣である秀次。この一件が秀吉の命なのか、それとも三成の進言によるものであるのかを叫ぶのが精一杯であった。





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天地人 第三〇回 「女たちの上洛」 
戦も終わり平和がすぐそこまでやってきた。越後へ戻った兼続もそう感じずにはいられない。しかし喜びばかりが越後へやってきた訳ではなかった。関白秀吉から、存外な命令がとどいたのである。

妻子を上方へ。

大名の妻子を人質として京へ差し出せといってきたのである。つまり上杉景勝の正室である菊姫。景勝から事情を聞かされるが納得できない菊姫は断固拒否の姿勢を貫いていた。
そこへ訪ねてきたのが兼続の室であり、身ごもっているお船。お船は大きなお腹の姿で、菊姫の前に現れ、やんわりと殿方の話を聞いてくれ、つまりは人質の覚悟を言いに来たのであった。しかし菊姫、「そなたに、わたしの心中がわかろう筈もない」とここでも断固拒否の姿勢であった。

年が明け天正一九年になると、景勝と兼続は上洛をはたした。京で秀吉に謁見。そこで秀吉から「女房は連れて参ったのか」と問われるが、病に伏せっていると誤魔化すので精一杯である。

また大国実頼とも会談の機会を設けた景勝一行。ここで千利休が秀吉から蟄居を命ぜられたことを耳にした。

さて越後。お船は相変わらず菊姫の説得に通っていた。その時に陣痛がおきたお船。そして無事に女の子を出産するのであった。この出産に立ち会った菊姫、赤子を抱いて笑顔を見せていた。

2月になると、蟄居を命じられていた千利休であるが、今度は反逆の罪に問われ自らの屋敷に監禁状態となった。そこを訪ねたのが景勝と兼続。

兼続は利休の娘であるお椋に「謝れば許される」と謝罪を提案するのだが、「なぜ謝る必要があるのですか」とすべてが関白殿下の思し召しだという。さらに「石田三成に申し上げているが、耳を貸す気がない様子」とすでに門前払いの状況に陥ってしまっており、見せしめの為に殺されてしまうとのことであった。

景勝は利休に「頭を下げても守らなければならないものもある」と説くのであるが、「関白殿下に頭をさげたら利休の茶は穢れまする。」と既に覚悟を決めている様子であった。
その2日後、利休に切腹の命がくだる。

この件で納得のいかない兼続は三成の元を訪れた。三成も報告で既に耳にしている。二人の間で議論となるのだが、「豊臣の天下を盤石にし、太平の世を作りたい」という三成。「人には情がある。それを忘れては人はついてこない」と主張する兼続。

5月になって越後へ戻った。景勝は再度、菊姫に対して上洛を説得する。しかし頑なに拒否する菊姫。そしてしびれを切らした景勝は主命であるとして、上洛を命じたのであった。菊姫はキッと景勝をにらみつけ、「お言いつけとあれば」と捨て台詞をはいて部屋を去った。

その後を追ったお船が、部屋に入ると菊姫は短刀を手元においていた。その短刀を抜くと首に当てようとするのだが、それができない菊姫。そして泣き崩れてしまった菊姫を抱きしめるお船。

菊姫は胸中を口にした。もし人質として京へ赴けば、子が無い景勝はきっと側室をもたれる。さすれば菊自身が不要となり、見捨てられるのがわびしかったのだと。

お船は決断した。「わたくしが御供を致します」。

兼続はお船の決断に反対しつつも、言いくるめられてしまった。2人の子を残して上洛する母お船。この上洛が小たちの幸せにつながると信じて越後を旅立ったのであった。






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天地人 第二九回「天下統一」 
天正一八年,関白秀吉は関東に覇を唱える北条攻めに向けて出陣。越後からは上杉景勝も直江兼続ら家臣の前にして,「上杉家,最期の戦と心得よ」と告げた。

これから攻める北条氏が籠もる小田原城。かつて越後の上杉謙信や甲斐の武田信玄が攻めたが,遂に落とすことが出来なかった難攻不落の堅城である。

兼続はお船になにやらつくらせていた。何かが詰まった布袋である。それを上半身に巻き付け,出陣していくのである。お船は娘のお松などと見送ったのであった。

北条攻めにおいて,東海道を東上する秀吉率いる本隊,さらに越後の上杉家や信州真田家,さらには加賀前田利家らによる北国勢に分けられる。兼続ら上杉家の北国勢はおよそ三五〇〇〇の兵でもって,上野松井田城を 取り囲んだ。

松井田城主の大道寺政繁,籠城すること一ヶ月。遂に降伏を申し入れてきた。「それがしの命に代え,城に残る家来どもの助命を」と願いでてきた。前田利家はその願いを承諾する。直江兼継は家臣に目配りさせ,大道寺政繁に酒を出させた。

政繁は酒に毒でも入っていると思い,「敗軍の将ともなれば切腹もゆるされぬのか」と無念の言葉を発した。しかし兼続は自ら杯に盛られた酒を飲み干し,疑念を振り払った。「敵ながらあっぱれ,我が主より一献さしあげたく用意したものである,越後自慢の酒であれば,是非ご賞味してくだされ」とするめる。

しかし政繁は口にしない。兼続はさらに「まもなく配下の者が城内にも酒を届けます」と告げると,政繁は感謝をした。

その夜,前田利家,上杉景勝,真田昌幸,さらに直江兼継らは酒を酌み交わしていた。前田利家は兼続の行為を褒めた。「敵に礼節をもって接する,あれぞ上杉の心意気」と。

一方の小田原城。秀吉は側室である茶々を呼び寄せていた。しかし秀吉にも懸念していることがある。それは伊達政宗が呼びかけに応じず,いまだ関東に姿を見せないことであった。そして徳川家康にも政宗を参陣させる様に催促をした。

兼続は松井田城が陥落した報告をもって,小田原へ赴いた。兼続は小田原城を囲む大軍勢に驚愕する。さらに秀吉から陣城を案内される。その森の木々に隠れる様に建築されている城。この城が完成した後に,城に籠もる兵に見せつければ,戦う気力が失せ,刃を交えずとも戦が終わると,兼続は秀吉からの問いに対応した。

伊達政宗の元へ二通の書状が届いていた。一つは徳川家康からのもの。小田原への参陣は無用という内容であった。そしてもう一つは直江兼継からのもの。こちらは二〇万の軍勢が小田原を取り囲む様を自身でご覧なさい。時代が大きく動くことを悟りましょう。と参陣を促していた。

政宗は二つの書状に目を通し,「我が命運,決する時がきた様だ」と決断を下した。

ついにやってきた。豊臣秀吉をはじめとして,小田原攻めに荷担している諸将が軍議をひらいている時,伊達政宗が姿を現したでのである。白装束での覚悟の参陣である。秀吉は政宗の命を助けるが,その代わりに会津領を没収した。

政宗は小田原から領国への帰路,城攻めを行う上杉の陣へ立ち寄っていた。兼続を訪ねた政宗。ここで対照的な二人が垣間見られる。好戦的な政宗に対し,戦の世が終わり,平和の時代を願う兼続。

八王子城を陥落させた上杉軍は,そのまま小田原城へと向かい秀吉に謁した。そして勝負の時,秀吉が早急に築城させていた山の中の城。それが完成したのである。それを城に籠もる北条勢へ見せつけるため,カーテン替わりとなっていた木々を切り倒した。

石垣山城が突如,山腹に出現したため,小田原に籠もる北条勢は度肝を抜かれた。石垣山から小田原を見下ろす秀吉,徳川家康,前田利家,上杉景勝,そして兼続。

北条氏政は敗北を認めざるを得ず,自害して関東に覇を唱えた北条氏は滅亡した。その空いた関東へは東海から徳川家康が移封となり,秀吉の天下統一はほぼ達成されたことになる。






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ちょっと欲しいグッズ 「マグカップ」 
ちょっと欲しいグッズ,それは「マグカップ」。

これからホットなコーヒーを家で飲む機会が増える季節。

こんな物が前から欲しかった。

家紋がかっこいい。


戦国武将 家紋マグカップ A:伊達政宗戦国武将 家紋マグカップ B:真田幸村


ちょっとデフォルメな武将もあるのには驚いた。

戦国武将マグカップ/武田信玄戦国武将マグカップ/織田信長戦国武将マグカップ/本多忠勝戦国武将マグカップ/豊臣秀吉戦国武将マグカップ/徳川家康戦国武将マグカップ/雑賀孫一

どちらも,一つは手元に欲しい逸品だ。




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